思春期の子供のきもち アンネの日記 完全版 を読みました。
アンネの日記 完全版 アンネ・フランク著 深町眞理子訳 文春文庫
を読みました。
以前作家の小川洋子さんが、ラジオでこの「アンネの日記 完全版」の話をされていて、いつか読みたいと思いつつ、延び延びになっていたものです。
完全版は574ページあります。
結構長いので、小学生にはつらいかもしれませんね。
昔も読んだ事があるのですが・・・
小学校高学年の頃、アンネの日記とアンネの童話集を持っていました。昔住んでいた近所の3歳年上のお姉さんでよく本をくれる人がいて、その人からもらった本です。
その本は、もっと薄くて200ページ~300ページ未満の本でしたが、布張りのすてきな本でした。
高級感のある装丁が大好きでした。
しかし、この本について当時の私が感じた内容はと言うと、
友人も多くて男の子にもモテモテ。先生にも可愛がられてる私だけど、お母さんの事は好きになれない。だって尊敬できないし、私の将来の夢はジャーナリストと作家なの。
て言う感じ?
一応は読んだのですが、なんというか「この子とは友達になれそうにない・・・」
と言うもので、特に印象深い本でもなかったです。
そして、この本の事では嫌な思い出があって、私が留守にしている時に母が友人の娘にこの本を含む数冊の本を勝手にあげちゃったんですよね。
文句を言うと、
「だって、もう読み終わったでしょ?」
て言ったんです。
今でも、覚えています。この言葉。
しつこいかもしれませんが。
本を勝手にあげてしまった事もショックだったんですが、私が本好きな子供だと言う事は母も知っていたと思うんですよね。
本も惜しかったのは事実ですが、やはり
私の気持ちを理解していない、尊重してくれなかった。
事が悔しかったんだと思います。
こういう事、て結構大人はやりがちだと思うんですが、
最近息子が、もう7年前位に捨てた玩具の話を突然始めたんです。
それは、玩具の処分に関する事で、かさばる玩具のうち
「どっちかを捨てよう」
と言う話し合いをしていたんです。私は、子供の意思を尊重しているつもりで、
「どちらを捨てるか自分で決めなさい」
と言いました。でも子供が選んだ方は、私の目からみて「長くは遊べないんじゃないか、子供っぽいのではないか」と言う方でした。
そこで私は、「こちらの方が良いんじゃないの?」と説得してみました。
息子は最初は首を縦にふらなかったのですが、すぐに納得したように見えました。
でも、最近「やっぱり、あっちの方が良かった。お母さんの言う通りにすべきじゃなかった」て言うんです。
こっちは、すっかり忘れてたし、「まだ、あんな子供っぽい玩具の事覚えてるの?」て、びっくりです。
でも、私も母と同じ事をしていたんでしょうね。
私は、自分の事もあったので、息子に意見を聞きました。でも私の思ったような答えでは無かったので、その意見を尊重しませんでした。でも、一応、気持ちを聞いたので、子供の意思を尊重したつもりになっていたんですね。
逆に始末が悪いかもしれません。
母親に対する気持ち
アンネの日記には、良く自分の家族に対する記述が出てきます。
概ね、父親には好意的なのですが、母親に関しては辛辣です。
わたしとしては、おかあさんにみならうべきお手本になってほしい。尊敬できる母親であってほしい。ところがうちのおかあさんは多くの点で、お手本ではあっても、それはまさしくわたしが決して見習いたいとは思わない、そういう意味でのお手本なんです。
アンネの日記完全版274ページより
ちょっとズキンときますが、アンネの年齢は今の日本で言うと、中学生位。
思い返せば、母親に対する反発心みたいなこういう気持ち、私にもあった気はします。
アンネは、母親が人間として女性として尊敬出来ないと言う事の他に、
本当の自分を分かってくれようとしない、子供扱いして嘲笑したり、妙なところで大人扱いしたりする、とも書いています。
アンネのお母さんは長女のマルゴーとは、上手くいっていたようですが、タイプの違うアンネには、ちょっと手を焼いていたみたいですね。但し、これはアンネの一方的な見解なので、もちろんお母さんの方にも言い分があったと思います。(アンネも自分にも悪い点はあると認めています)
ところでいま、突然はっきりしてきたのは、お母さんにはなにが欠けてるかってことなんです。実はお母さん自身の口から私達姉妹を娘としてよりも友達として見ていると聞かされたんです。
これはこれで、もちろん結構な事ですけど、友達はやっぱり母親のかわりにはなりません。
私としては、お母さんに見習うべきお手本になって欲しい。尊敬出来る母親であって欲しい。
アンネの日記 完全版274ページより
話は逸れますが、最近NHKの「お母さん 娘をやめてもいいですか?」と言うドラマを見ているのですが、娘の美月さんがアンネのような性格だったら、このドラマは成立しなかっただろうな、と思いながら見ています。
誰もが持っている「もう一人の自分」について
子供の頃は、この本の最初の方のアンネの印象に反発心を抱いたまま、読んでしまった為アンネの本心、アンネ自身が言う「もう一人の私」の気持ちを、私は読み取る事が出来なかったようです。
胸の内ですすり泣く声が聞こえます。
「そうらごらん、やっとわかったでしょう?あんたは同情心が無く、いかにも高慢ちきに意地悪そうに見えるから、会う人みんなから嫌われる。それもこれも良い方の自分の忠告に耳を傾けようとしないからよ」
とんでもない、耳を傾ける気なら十分にあります。でもそれがうまくゆかないんです。
アンネの日記完全版573ページより
外出も許されず、トイレや水を使う事にも制限がある生活の中で、世の中の情勢にも不安を覚えながら、これだけの思いを綴り、不安に苛まれる事はあっても未来への希望を捨てなかったアンネ。
アンネと同世代だけでなく、親世代の私たちの心にも響く本だと思います。
私がこれほどまでに、かくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるかを。
きっとなれるはずなんです。もしも・・・この世に生きているのが私ひとりであったなら。
アンネの日記 完全版574ページより
1994年8月1日、この記述でアンネの日記は終わっています。
3日後の8月4日、隠れ家は摘発され、翌1945年2月~3月初めにベルゲンベルゼ強制収容所でアンネ・フランクは亡くなりました。
明日がある事を信じて、自分の理想とする人間になりたいと願い、思いを綴った少女の最後の日記。
この文章には、特に胸にせまるものがあります。
今回は文章が長くなってしまいました。
最後までお読み頂いた方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。